堀田さんが数あるソルトターゲットのなかからヒラメを選び、特化して釣り込むようになったきっかけとは?

ヒラメを初めて釣ったのは、30年くらい前になると思います。当時のホームグラウンドは静岡県の駿河湾、富士川の河口周辺。そこをベースにシーバスを釣っていました。シーバスを狙っていて、ゲストとしてヒラメが釣れたのが最初ですね。単純に嬉しかった。持ち帰って食べました。高級魚ですし、いつでも食べられる魚というわけでもない。美味しかったですね。また出会ってみたい、また釣りたい、また食べたいと思ったことをよく覚えています。

シーバスは条件を分析して狙っていけば、そこそこ釣れるようになっていた時期でした。釣れにくいヒラメを狙って釣れないのかな、と思って狙い始めたのが、僕のヒラメ釣りのスタートです。食べたい、という理由も大きかったですけどね(笑)。こういう時に釣れたな、とか、こういう時はどうだろう、などと、シーバスを釣りながら試行錯誤していました。期間を明確に区切ることは出来ないんですが、ある一定期間の試行錯誤を経て、自分のホームグラウンドに関しては、こういうタイミングで、こういう釣りをしたら、確率高くヒラメを釣ることができる、そう思えるようになりました。それでも最初に釣ってから10年くらい時間が掛かったと思います。

ヒラメをメインターゲットにするまでは、シーバスを中心にいろいろ釣っていましたよ。1990年代後半はオフショアの釣りもよくやっていましたし。ジギングでカンパチやヒラマサを狙ったり、海外遠征、GTフィッシングにも出かけていました。アオリイカなどのソルトターゲットもいろいろ釣っていましたし、フライフィッシングにもかなり入れ込んだ時期がありましたね。 そうしたなかでヒラメを少し狙って釣れるようになってくると、自分の中でシーバスとヒラメの位置付けが逆転してきたんです。別に偉いわけではないんですが、ヒラメを釣ると「えっ!また釣ったの?」という反応をしてもらえることが多かったし、素直にそれが嬉しかった。釣ったら食べられるし(笑)。また、釣りたい!となっていきました。結果として僕のなかでヒラメ釣りの比率がどんどん高くなっていきました。

 

– ソルトルアーゲームはまだ始まったばかりの時代。いまのように細分化は進んでおらず、ヒラメもメインターゲットとして認知されていなかった。あくまでもシーバスゲームのゲストという位置づけだった。そんな時代に、堀田さんはヒラメ釣りの第一人者の道を歩み始めたのだ。

プロアングラーの仕事をするきっかけは、雑誌への投稿です。投稿が編集部からの依頼につながっていきました。それでも最初の頃は「ヒラメは釣れてもゲストでしょう、まずはシーバスをお願いします」と言われることが多かった。でも、「ヒラメも狙って釣れるんだよ」という話をすると、「じゃあ、ヒラメを狙ってみますか」、という感じでヒラメを釣る仕事も増えてきた。そうこうしているうちに、とある雑誌で、ザ・ヒラメハンターというヒラメ釣りの連載を始めることになりました。タイトルは自分で考えました。そうなってくると、自分の釣りの中では完全にヒラメ釣りが中心になってきて。それを長いこと続けてきたら、ヒラメといえば堀田、となってきた。ヒラメを釣ることに価値を見出した、ということかな。誰もやっていないから、自分だけの満足感というものが大きかったですね。

シマノとのお付き合いが始まったのは1998年頃から。当時、自分自身はヒラメをメインに追いかけてはいましたが、最初の番組出演はシーバス釣りでした。ヒラメ用のルアーの開発を一緒にやってくれないか、とシマノから依頼があったのは、2002年か2003年でしたね。

 

– シマノとの関係のなかでも歳月を重ねるごとに、堀田さんに対するヒラメ釣りへの期待が高まっていった。そうしたなかで、サーフルアーゲームシリーズ、熱砂が誕生した。サーフルアーゲームを広めたい、という堀田さんとシマノの強い気持ちが原動力となり、プロジェクトは動き始めた。

熱砂のスタートは、ヒラメ用、サーフルアーゲーム用のルアーを形作っていこう、という考えからでした。 ヒラメのルアーフィッシング、そのシリーズ化への第一歩ということですね。最初はルアーだけのスタート。だからシリーズではなく、サーフコンセプト、と呼んでいました。ロッドがあり、リールがあり、ルアーがある。それで初めてシリーズと呼べますから。ルアーだけではシリーズとは認められなかった。

自分自身は、当時からヒラメ人気は高く、需要は十分にあると思っていました。イベントの集客率、本の売り上げなど、いろいろ裏付けもありました。時代的にも、釣り人がそれぞれに好きなターゲット、ジャンルを分けて釣りをする状況になりつつありました。メーカーが分けていなかった、という状況だったのかな。熱砂という名前も僕が考えました。我ながらいい名前を付けた、と思っています(笑)。熱い砂。よくないですか?

ルアーの開発を水面下で始めたのは2008年。スピンドリフト90HS、フラットシュートがリリースされたのが2009年。この2つのルアーが、サーフコンセプト、熱砂コンセプトという形でくくられてリリースされました。

発売された後、熱砂コンセプトが続くかどうか、シリーズへと成長していくかどうかは、2つのルアーが売れるか売れないか、にかかっていたわけです。売れなければ続かない。2つのうちのひとつ、スピンドリフト90HSはバカ売れしました。

40T ピンクファイヤー

ヒラメの魅力ですか? なかなか釣れないところでしょうね。追い求めなければ、追いかけなければ釣れない。追いかけるということは、ヒラメに恋い焦がれているわけです。

ちょっと格好つけ過ぎかな(笑)でも、最終的にはそういうことでしょう。恋愛も同じだと思うけど、追いかけないと自分のものにはなりませんよね。パッと行ってすぐに釣れてしまうこともありますけど、追いかける過程も魅力なんです。結果として価値のある魚、ヒラメが釣れる。なかなか釣れない魚で、食べて美味しく、買ったら値段が高い。対価としても、とても満足できる魚が手に入る、ということです。満足感が大きいんです。

最初はひとりで始めましたけど、続けていくうちに仲間というか、ヒラメに興味を持ってくれる人がだんだん増えてきた。ヒラメ用のルアーやロッドを、メーカーさんの力を借りてリリースすると、それを手にしてくれる人が増えてきた。自分がやっていることに、多くの人が賛同してくれて、どんどん集まってきてくれる。これは、ひとりの人間としてとても嬉しいですよ。だからさらにヒラメの魅力を知ってほしいと思うようになってきました。

 

一定のところから、そういう動きがどんどん加速してきたように感じます。そして今がある。これまでの状況をつぶさに見ているので、ヒラメ、というよりか、ヒラメ釣りを介した、釣りの広がり方、動きに手応えを感じています。

そしてまた、さらにヒラメを釣っていこうという気持ちが強くなってきました。現在は、そういう状況にありますね。製品をリリースする。それが世の中に受け入れられる。そうするとメーカーさんが潤う。小売店さんも潤う。そうなるともっともっと頑張ろう、という気になってくる。お客さんを裏切れないから、自然と求める水準が高くなってくる。期待も大きくなってきていますしね。もう、ヒラメ釣りはライフワークになっています。

人気上昇中の現在のヒラメシーン。堀田さんはどのように捉えているのだろうか?

嬉しいのはもちろんですが、振り返ってみたら、当然の結果でもあると思います。
港湾部に入れなくなった、魚があまり釣れない、ほかの釣りに飽きちゃった。そういうアングラーを受け止める要素があった、ということだと思います。日本各地にサーフは数多く点在しているし、その規模も広大。アングラーを受け入れるフィールドは無限といっていいほどある。人気が出たのも必然だったかなと思います。後から思えばですけどね。

いままではヒラメは釣れない釣りでしたけど、ほかの魚も釣れなくなってきている。だから、相対的に同じ程度になったということもあります。となれば、人が少ないフィールドで、美味しい魚を、という流れがあるのは当然ですよね。

これからのヒラメシーン、第一人者としてどのように関わっていきたいと考えているのだろうか?

ヒラメはほぼ全国で釣れる、とはいってもその人気には温度差はある。今後は温度の低いところで積極的にアピールしていきたい。日本国内でも、まだまだ未開拓なところは多いと思います。海外もありますよね。南米、たとえば、アルゼンチン、チリ、ペルー。メキシコ、北米、太平洋も大西洋もありとフィールドは数限りない。

日本にもごく稀にいるみたいですが、右ヒラメというのが南米にはいるらしい。けっこう釣れるけれど、普通のヒラメとは明確に分類されていないらしいんです。いつか、ぜひ釣ってみたいですね。

【次回予告】[Phase2] 幾多の問題を抱えていた開発のファーストステージ

「いままでにないものを作りたい!」「常に新しいチャレンジをしていきたい!」そう語る堀田さんがシマノ開発陣に提案したのは「飛ぶワーム」。メタルジグ並みに飛ぶワームを作ることができれば、間違いなく強力な武器となり得る。堀田さんが投げかけた難題をクリアすべく、開発陣の苦闘がスタートした。

次回へつづく。