へら釣り名手の釣行記 “一竿風月”

吉田康雄vs印旛2019 その2 【後編】

釣っても釣っても、喰ってくるのはマブナ。
「本命」は掛かってもスレのみ…。
今年も容赦なく牙を剥く、印旛の春。
しかしそこには、確実に存在する。
簡単には釣れない。分かっていても、挑まずにはいられない何かが…。
印旛ゴーマル挑戦2019春。
果てなき激闘の先に、吉田康雄が見たものとは…?

前編記事はこちら

取材2回目、さらなる試練。

ドラマティックな展開となった1回目の取材で完敗を喫した後、ある種の脱力感に苛まれながらも、吉田は希望を捨てずに次のチャンスを伺った。
1回目の取材からちょうど1週間後の4月29日(土)、吉田は再び印旛の地に乗り込む。しかしそこには、非情な現実が待ち構えていた。

「待ちに待った雨。絶対いいと思ったんです。寒いのも狙いどおり。マブナが大人しくなりますからね。ただ、ここまで水がないのは計算外でした。あわよくば『飯野』か「眼科医院下』でハタキの音を聞きながら…なんて思ってたんですけどね。」
夜明けの4時、印旛沼西部調整池「飯野機場前」を見に来た吉田は愕然とする。水位がさらに下がり、ほとんどの水底が露出していたのだ。
さすがにこれでは釣りにならない。水を求めて、冷たい雨が降りしきる印旛水系を車で奔走する。

取材2回目。減水、雨、北風、最悪の展開。唯一釣りが成立しそうな鹿島川に賭ける。「さすがにこんな日に釣りをする人なんて、誰もいませんね(苦笑)」。昨年出会った常連氏から「誰もがやらない時こそ、実はゴーマルのチャンス」と教えられた吉田。決して冗談半分や取材の義務感で竿を出すのではなく、確たる想いがあるからこそ、極寒土砂降りの中でも釣りが出来そうなポイントを探し回って鹿島川に辿り着いた。冬の釣り場のイメージもあるが、春に50上の実績もある「巨べらの川」である。

 結局、辿り着いたのは印旛沼西部調整池に注ぐ鹿島川だった。
これも何かの導きか。数年前、この挑戦の最初に狙ったポイント。京成電鉄下流、東岸。印旛本湖は水がなく全滅。釣りになりそうなのはここくらいだった。
「最初からやり直せ、ってことですかね(苦笑)。」

9時、行き交う電車を左手に見ながら、出した竿は「ボーダレス」16.5尺。水深1.5m。流れは緩く、少量のハリスオモリで止まった。エサは両グルテン。ジャミやマブナを避けるべく、グルテンに徹する。
気温は6度のまま。そして、冷たい雨。唯一の救いは時折出るモジリ。ブルブルと震えながらも、執念のエサ打ちを始める。何もアタらないまま時間は過ぎた。

出した竿は「ボーダレス」の16.5尺。長竿のイメージが強い鹿島川だが、あえて短めで。そして、当日のモジリはさらに手前。吉田は思い切って釣り台を左側に移動し、斜め右を向いてヘチ寄りを打つ。そして…。

雨の鹿島川に舞い降りた、小さな奇跡。

「雨の中の野釣りって、やっぱりなんかドキドキするんですよね。子供の頃からそう。正直、前回の飯野のピーカン時よりよっぽどワクワクしちゃってますよ。」
この男、釣りをしている時の天真爛漫さは呆れるくらいだ。
簡潔明瞭に言えば「ヒドい天候」である。容赦無く叩きつける冷たい雨。ハタキも皆無で、この時期での思わぬ減水。印旛水系広しといえど、釣りをしているのは吉田とオカッパリバサーくらいではないか…と思えるくらいだった。
へら鮒釣りをするには過酷以外何物でもない最悪の条件。しかし吉田はひと時も笑顔を絶やさない。良い意味での「吹っ切れ感」。今年の吉田にはやはりそれがあった。
そんな吉田に、記者もとことん付き合うことにする。

この時期に上下ダウンウェアを着込んでいなければ耐えられない寒さ。そして、どんどん強まる雨足。
「きっと電車から見ている人達は、『この土砂降りの中、あの人達はいったい何やってるんだろう』って不思議に思ってるんでしょうね(笑)。」
若き日に印旛挑戦を始めてからの、吉田の「成長」…。この過酷な条件下でそんな冗談を飛ばせるほどの心の余裕が、雨の鹿島川でささやかな奇跡を手繰り寄せることとなる。

開始から1時間、へら鮒はもちろん、ジャミやマブナのアタリも皆無。雨はともかく、やはり寒過ぎるか?正直、この時点で記者はこの日の釣果を諦め、ただただ吉田の気が済むまで付き合うつもり、という心持ちになっていた。
10時30分、吉田が動く。
「左側の岸に近いところで何度かへらがモジったんですよ。そして、意外と沖にはモジリがない。もしかしたら手前にいるのかも…。」
鹿島川と言えば長竿のイメージ。吉田が出した16.5尺でも短いくらいだ。しかし、確かに吉田が言うように、この日は打ち始めてから何度か、かなり岸に近いところにはっきりとへらとわかるモジリがあった。
先入観に捉われず、臨機応変に。
吉田はここで釣り台を橋に近い左手に移動し、さらに斜め右を向いて岸寄りを打つ作戦に出た。正面を向いて短竿にしなかったのは、「へらの警戒を嫌ったため」。そんな余裕ある選択も、以前の猪突猛進的な吉田には見られなかった柔軟性だった。

ウキ下は約1mに浅くなる。狙いどおりの深さだ。しかし、すぐに結果が出るほど印旛はアマくない。3時間、ズブ濡れになりながら信念のエサ打ちは続いた。
「マブナが来ないじゃないですか。これはいいことだと思うんですよね。」
鹿島川もマブナが濃い。これが釣れないのは唯一の「希望」だった。13時40分。待望の初アタリに乗ったのは、39㎝の「ほとんどへら」という半べらだった。膨らんだ希望を胸にさらに3時間…。
吉田の「粘り勝ち」だった。
16時30分。確かな前触れの後に、「チクッ!」と鋭く刻む。豪快な沖走り。確信した吉田が「これはへらだ!」と叫んだ。

エサ打ちポイントを変えてから3時間、ズブ濡れになりながらの執念のエサ打ちが、天に通じたか。16時30分、ついに会心のアタリをとらえた吉田が叫ぶ。「これはへらだ!」。

「頑張ってよかった! こんなに小さいのに、涙が出るほど嬉しいですよ!」
雨に濡れた最高の笑顔が弾ける。

33cm。絶望の先に見た、微かな「希望」。小さいが、嬉しい嬉しい1枚となった。

33cm…。
ゴーマルどころかヨンマルにも遠く及ばない尺べらが、とても輝いて見えた。

夕方、降り続いた雨が上がり、鮮やかな夕焼けが吉田を包んだ。いつか、この空の下で…。

完全にウキが見えなくなるまで、へらの気配を追い続ける。


エピローグ。

鹿島川。感動の尺1寸の後、雨が上がった幻想的な夕まずめの景色の中、竿を曲げ始めたのは残念ながらマブナだった。それでも19時まで竿を振った吉田の顔には、やりきった爽快感が溢れていた。
そして5月4日(土)、最終取材。印旛沼の水位も最高潮に到達。小さなハタキ音の中で4時、吉田はまず「飯野」に入るが、マブナのイレパクに終始。各ポイントを見て回った後、9時に相性のいい「眼科医院下」のポイントに移動。ラストチャンスに賭けたが、マブナの猛攻激しく、残念ながら型物に出会うことはなかった。
しかし、やはりここで吉田は執念の釣りで39・3㎝のへら鮒をものにしている。

竿は「飛天弓 頼刃 またたき」8尺で、タチ60㎝のガマ穴の底釣り。エサはマブナの猛攻にグルテンを諦め、マッシュポテト主体のエサに変えた直後の17時16分の出来事だった。
「完全にペトペトまでネリ切るよりも、若干ボソっとした感触を残しておくのがよかったですね。ま、たった1枚なのであまり説得力はないですけど(苦笑)。自分自身、印旛でマッシュでへらを釣ったのは実は初めてなので、ものすごく自信になりました。これは来年に繋がりますよ。ゴーマルどころか40上も遠くなりましたが、一歩ずつ、です。」
今年の吉田康雄は、例年以上にポジティブだったように思う。
実際、年を重ねるごとに印旛水系でへら鮒を釣るのは難しくなっている。40上を釣ることさえ至難の技で、それがゴーマルともなれば、もはや宝くじ級の雲をもつかむような夢物語にさえ思える。
しかし吉田康雄は、そんな「夢物語」をこれからも追い続ける。

「確かにへらは少なくなりましたよね。以前ならこの時期、管理釣り場で釣りを愉しんだ後で夕方ちょこっと竿を出すだけでも、何枚か大きいのが釣れたものです。でも今は型物どころかオデコにならないだけでも至難の技ですから。
でも僕は信じているんですよ。またあの頃の…とまではいかないまでも、たくさんの方達が印旛に来て気軽に竿を出して、この最高の野釣りの雰囲気とスリリングな巨べらとのやり取りを愉しめるような、そんな光景がまた普通に見られるようになることを。だからそれまでは、バカな吉田がみなさんに代わって無謀な挑戦を続けます。だから先に釣っちゃっても怒らないでくださいね(笑)。」

最終取材は5月4日(土)。微かな終わりかけのハタキの中、執念で「眼科医院下」で39.3cmを獲る。実はこれが吉田が印旛で初めてマッシュで釣ったへらでもあった。一歩ずつ…。今年も型物には届かなかったが、例年以上にポジティブな思考で印旛を駆け回った吉田康雄。その果てなき挑戦は、2020年もまた、続く。

実は今回、吉田は例年以上に仕事(ウキ作り)が忙しく、取材はほぼ週に一度の土曜日に限られた。おそらくこれまでの6年の中でトータルの取材回数は一番少なかったはず。しかも最終取材の前、5月頭の絶好機にも取材を行うことが出来なかった。これは記者の都合もあり、吉田には本当に申し訳なかったと思う。
でもそれは、読者の皆さんも同じこと。今回吉田は、ままならない日程も「自由気ままに釣りに出掛けられる人なんて、世の中にはいません。当たり前のことですよ。」と割り切り、1回1回の取材にポジティブシンキングで明るく丁寧に臨んでくれた。1回の取材は14時間以上にも及んだが、吉田はコンビニの食事をほおばりながら、片時もウキから目を離すことはなかった。そんな吉田の真剣な中にも嬉々とした雰囲気こそが、まさに「釣りの原点」だったように思う。
また来年、吉田は懲りもせず印旛の水辺に立つことだろう。最高の笑顔を友として。

シマノインストラクター
吉田 康雄

1976年、東京都荒川区で生まれる。
数々の大会で上位入賞、全国大会進出を果たしているが、記憶に残るのは99年シマノジャパンカップへら釣り選手権大会の準優勝と、14年に実現した同大会優勝。人気ウキ師としても評価が高い。巨ベラ狙いにも積極的で、05年春には亀山湖で50cmを達成した。

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