へら釣り名手の釣行記 “一竿風月”

萩野 孝之 in 土浦新川
「飛天弓 閃光P」長竿で真冬の野を堪能する【後編】

激戦の秋を終え、季節はいよいよ凍てつく冬。
今年もビッグトーナメントを制した「絶対王者」は、野に還る・・・。
「釣れるかどうか分からない冬の野釣り。それも型がいいとなれば、もう最高だよね。」
そこには競技者としてではなく、1人の釣り人としての萩野 孝之の横顔が。
そう、この男は勝つことが好きなのではなく、「釣り」が好きなのだ。
そして、だからこそ「強い」のだと・・・。
冬になるとやってくる大好きな釣り場、茨城県・土浦新川。
王者の帰還を歓迎するかのように、そこには最高のへら鮒と最高の「試行錯誤」が待っていた・・・。

前編記事はこちら

繋げる「足掻き」。

いくら実績のある土浦新川とはいえ、真冬の野釣り。最悪、オデコも覚悟で来ただけに、この早々の5枚は萩野に早い段階で満足感をもたらした。
・・・かに見えたが、やはり全然満足などしていなかった(笑)。
「今日は比較的朝が暖かかったせいか(8°C)、早めに釣れ始まりましたね。日中もそこそこ気温が上がって風も穏やかみたいなので、喰い渋るかもしれません。もちろん、まだまだ釣り足りないですよ(笑)。」
間が空いて11時20分に6枚目となる尺2寸を追加すると、萩野の予想どおりアタリは散漫に。周囲の釣り人もめっきり竿を絞らなくなる。通常、厳寒期となれば水温が上がるこのくらいの時間帯から逆に釣れ始めるのがセオリーだが、暖冬の今年、まだまだへら鮒の寄りが緩慢のようだ。その分早朝から釣れるのはいいのだが、日中はどうしてもボケる時間帯がやってくる。必要以上にへら鮒たちが広く泳ぎ回ってしまうのだろうか?
「でも見てくださいよ、凄いですよね。すぐ近くにあんなに広い霞ヶ浦が広がっているんですから、こんなところで釣れるだけでも奇跡みたいなものですよ。そういうことを考えるだけでもワクワクしちゃうよね。」
野釣りのロケーションと浪漫を噛みしめる萩野。確かに言われてみればこの広大な霞ヶ浦を思えば、21尺の長竿といえど爪楊枝のようなもの。釣り人が投じるエサなど、まさに「奇跡」のような点に過ぎないのだ。
「なんとかして釣りたいよね」
穏やかな日中特有の喰い渋り。周囲が緩慢な空気に包まれる中、萩野は足掻き続ける。
どう足掻いてみたところで大自然の方が勝ち・・・。

「大海原」の中、足掻き続ける・・・。

そんなことは百も承知のうえで足掻くのは、まさに釣り人の性か。
「風も弱く流れも緩いので、ちょっと変えてみます。」
萩野はそう言うと、30―45cmだったハリスを40―50cmに変更。バランスでタナを取り直した上で、下ハリスに「2B」のかみつぶしのガン玉を付けて、いわゆる「ハリスオモリ」の釣りに変更する。
これでアタリが復活!
・・・とは残念ながらならず。やはり萩野といえど、野釣りでの自然的な地合落ちにはためす術なしか。
それでも真剣な表情でウキと対峙する萩野。時折、突発的な動きでアワせるが、どうやらスレのようだ。
「だんだん分かってきましたよ。やっぱりハリスオモリをやってみてよかったです」
カウントは進まないが、萩野は確信めいた表情で、そう呟くのだった。

日中、風流れが緩くなったことから「ハリスオモリ」にしてバランスに近付けてみる。好転することはなかったが、この試行錯誤が終盤に向けての大きなヒントとなった。

終盤、最高の釣り・・・

13時30分を過ぎる頃、ハリスオモリで続けてきた萩野が、おもむろに仕掛けに手を加え始める。
元の外通しに戻したのだ。
さらに萩野はハリスを30―40cmと短めとし、枝イトに付けた板オモリも朝より重めのものに変更。再び風流れが強くなってきたわけではないのに、この変更はどういうことだろうか?
「バランスに近いハリスオモリをやっている時に気付いたんですけど、魚がいなくなったのではなくて、いるんですよ。つまりは『いるけど渋っている』ということなんです。時折気配はあるんですけど、引っ掻いたりすることがほとんどで、全然喰いに繋がりませんでしたよね。そこで分かったんです。動かしちゃダメなんだなって。エサがどっしりと底に止まっている方が喰うんだって、そう気付いたんです。日中も時折左手の方が竿を絞っていたんですが、見ると、けっこうゴツい外通しで、待ってるんですよね。それもヒントになりました。」
日中の「足掻き」が、見事に終盤に繋がる。いや、「繋げた」と言った方が正しいだろうか。
思えば萩野孝之という「トーナメンター」の勝ち方も、いつもそうだ。
不安だからこそ、徹底的に試釣をして、試行錯誤を繰り返す。そしてそれは、トーナメント本番でも同じ。決して達観せず、本番の最中でさえ状況に合わせて試行錯誤を繰り返す。そして最後の最後の爆釣に「繋げる」のだ。

舞台は全く違えど、この日の土浦新川での釣りも、そんな萩野の釣りスタイル・・・いや、大袈裟に言えば「生き様」を見るような、そんな展開となった。
仕掛けをどっしり系の外通しに換え、エサも両グルテン一本勝負。
これでじっくり待つスタイルに変えると、5分以上待ってからのはっきりとしたアタリが復活。ポツリポツリと大型が釣れ始まったのだ。残念ながらサイズは判で押したかのように38〜39cm。しかし、もはやサイズは関係なかった。試行錯誤の末に「辿り着いた」ということが、アングラー萩野孝之を満足させていたのだ。

終盤、ハリスオモリから外通しに戻す。すると再び萩野の竿がジワジワと曲がり始めた。流れにとらわれず、「止める」。萩野は「バランスよりドボンの方がハリスがフリーになるので底でのエサの自然度が上がり、流れに関係なく喰い渋りに強さを発揮することがある」とも。

いずれにせよ、日中の試行錯誤があったからこその「突破口」となった。釣れるへらのサイズは朝を上回ることはなかったが、もはやそんなことは関係なかった。

「これが釣りですよね。上手くいく時もあれば、上手くいかない時もある。でもだからこそ面白く、熱くなる。そして、いつまでたっても止められないんでしょうね。」
1人、また1人と帰っていく。そしてついに、川には萩野ただ1人になっていた。
いったんは雲で隠れた夕陽が再び雲の下から現れ、ついには土浦の街に沈んでしまうまで・・・。
萩野は諦めることなく最後までエサを打ち続けた。ウキが完全に見えなくなってしまうまで・・・。
「20枚いきたかったけど、いかなかったですね。でも、思い通りにいかないのもまたへら鮒釣り。僕自身、冬はそんな“原点”を確認するために、野に戻るのかもしれません。」
尺2寸から40cm級の野べら17枚と遊んだ、素晴らしい真冬の野の1日であった。

土浦の夕景をバックに、ウキが見えなくなるまで竿を振り続けた萩野。忘れがたい冬の大切な釣行となった。

シマノインストラクター
萩野 孝之

シマノジャパンカップへら釣り選手権大会は初出場96年6位、98年3位、99年4位、00年3位、02年3位、03年優勝、04年優勝、 05年3位(シマノへら釣り競技会、浅ダナ・チョウチン一本勝負!3位)、以降も上位入賞しながら13年まで全国大会へ進出し続けた、ミスタージャパンカップ。

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